それは、男のものだと悟ったとき。
数年間にわたり、茶道を習っていました。
続けるほどに茶の道の奥の深さがわかってきて、これは一生でも続けたいと考えたものだった。
しかし私は途中で立ちどまる。
自分はいくらお茶を続けても"本物"にはなれないかもという思いが首をもたげてきたのです。
この頃、定例のお茶会で、友人でもある見弟子が"おうす"のお点前を披露することになった。
ふだんのお稽古は、和気謁々。
見弟子のその男性は、お点前が人一倍うまいことはわかっていたが、私たちの前でうまさに凄みまでは見せたことがなかった。
しかし、お茶会当日、羽織袴の正装で現われた彼の姿は、まぶしいほど凛々しく、それだけで圧倒された。
そして本番のお点前が始まるやいなや、私は息をのんだのだ。
うまさに凄みが加わったばかりでなく、まさに水を打ったような静寂の中で、水のたてる風流な音はもちろん彼の所作に合わせて正確に生み出される袴の絹ずれの音までが、ゾッとするほど美しいのだ。
そして、凛と音をたてるような所作のひとつひとつは、まったくもって胸が苦しくなるほど見事だった。
お茶とは、じつはこのように人を感動させるものなのだ。
まさに、"一期一会"。
人とのいっときの交わりにおいて、ここまで人の心を打つものは、やはり他にはなかったのだろう。
そうした茶の心を初めてハッキリ垣間見た気がした。
でも、それならば、「よーし私も・・・」と思うところ、なぜ、あっさりあきらめたのか?
茶の道は、やはり男のもの、こう確信したからです。
男でないと、あの凛と張りつめた空気はぜったい作れない。
だから人の心を打つことだってできないと確信したのだ。
この日、化粧直しばかりしていた私は、茶の心からもっとも遠ざかっていました。
ほくろ レーザー 治療も完全に終わっていたせいか、化粧が楽しくて仕方がなかったのです。
女が男に美しさで完璧なまでに敗北してしまう場面を生で体験した私は、何か自分がもう少し女として枯れるまで、茶道はお休みしようと心に決めたのです。